今日はちょっとゆるっと、
でもボクにとってはすごく大事な話をさせてください。
テーマは「ボクの原点は全肯定だった話」です。
これはですね。
大好きな祖父の話ですね。
ボクね、
ほんとにおじいちゃんのことが大好きだったんですよ。
もう亡くなって20年以上経つんですけど、
今でもかなり影響を受けている存在です。
尊敬している人は??
って聞かれれば、
即座に「じいちゃん」って答えます。
ボクの祖父は大正4年生まれで、
戦争も経験していて、満州にも行っていた。
帰ってきた時には体も壊していて、
本当に大変な人生だったと聞いています。
小さい頃はとにかく、じいちゃんと遊んでいた記憶がある。
これは母から聞いた話だけど、
怒るとちゃぶ台を返すとか普通にしていたようで。
今やったら絶対ダメだよねってやつ。
でもね、
そんなじいちゃんが
ボクに対してどうだったかというと、
とにかく全肯定だったんですよ。
「それでいい」という空気
以前は
いわゆる厳しい人だったらしいんです。
すぐ怒るし、プライドも高い。
そしてちゃぶ台も返す。
でも、
ボクに対しては一度も怒ったことがない。
ずっと笑ってて、
ずっと受け入れてくれてて、
口癖は…
「さとちゃんはそれでいい」
これ、今振り返ると、
めちゃくちゃ大きいなって思うんです。
無条件で肯定される経験
人間って、
どこかで否定される経験をしますよね。
・それ違うよ
・なんでできないの?
・ちゃんとしなさい
でも…
どこかで一人でも無条件で肯定してくれる人がいる
これだけで
人生の土台が変わると思っています。
ボクは多分、
その土台をじいちゃんからもらっていて、
「なんとかなる」っていう感覚がずっとあるんですよ。
これね、何の根拠はないです(笑)
でも「大丈夫だろうな」って思える。
これって原体験から繋がっているんですよね。
じいちゃんが
「さとちゃんは大丈夫」って言い続けてくれたこと。
そんなじいちゃんが亡くなった時、
泣けなかったんですよ。
悲しいのに泣けなかった。
多分その頃から
感情に蓋をするクセがあったんだと思います。
でもね、その一方で…
今でもなんか、守られてる感覚があるんです。
ちょっと不思議な感覚なんですけど、
本当にそう思っていて。
これがあることで、新しいことに挑戦できたり、
何かアクシデントがあっても
「大丈夫だな」って思える。
今の自分につながっているもの
だからこそボクは今、
誰かにとってのそういう存在になりたい
って思ってるんですよね。
去年の夏祭りにじいちゃんの話を
近所の方から聞く機会があって。
亡くなって何十年も経ってるのに、
「あの人に助けられた」っていう話が出てくる。
何でもその人は遠方から移り住んだ人で、
初めよそ者扱いされてなかなか地域に溶け込めなかった。
で、うちのじいちゃんが
「親戚になれば良い話。お前はうちの親戚になれ」
って言ってくれてたようで。
それ以来、気を使わずこの地域で生活できるようになったって話を、
亡くなって20年以上経つのに、昨日あったかのように話してくれたんです。
これを聞いた時に思ったんです。
あ、こういう生き方なんだなって。
何かすごいことをしたとかじゃなくて、
目の前の人をちゃんと大事にする
それを積み重ねた結果、誰かの人生に残る
これって、
めちゃくちゃすごいことだなって思っています。
ボクは、
「歴史の教科書に載りたい」なんて言ってますけど(笑)
本当のところは…
「じいちゃんみたいになりたい」
これなんですよね。
制度だけじゃ届かないもの
ここでちょっとだけ、
いつもの話にもつなげさせてください。
制度ってもちろん大事です。
正確な情報も必要です。
でもね、
それだけじゃ届かないものがある。
「この人は自分をどう見ているか」
「自分はこのままでいいのか」
「どうなりたいのか」
ここって制度ではなく、
関係性の中でつくられるんですよね。
ボクがじいちゃんからもらったものも、
まさにそれで。
安心して存在できる感覚
これがあるかどうかで、
人の動き方って変わると思っています。
最後に
最後に、
今日は「問い」を置いて終わります。
・あなたにとっての「原点の人」は誰ですか?
・その人から何を受け取っていますか?
そして、
あなたは誰にそれを渡せそうですか?
この循環ができたら、
すごくいいなと思っています。
じいちゃんいつもありがとう。

